2008年度前期試験レポートうp第1弾
テーマはずばり「限界芸術」。何それ?って方は、鶴見俊輔『限界芸術論』(ちくま学芸文庫)を読んで
下さい。たぶん読んでなくても言いたいことは伝わるとは思いますけど。
このレポートは字数上限が2000字で、普段字数足りなくて困る私が字数余って困ったというレアケース。
本当はここからネットラジオの隆盛からピアキャストの流れまでを書きたかったので非常に不完全燃焼。
暇があれば書き足したいものですが、暇があっても他の事に使うから多分そうなることはないでしょう。



「大衆芸術から限界芸術へ」
〜インターネットの普及に伴うアマチュアリズムの繁栄〜


 20世紀に入って、インターネットは急速に進化した。内閣府による一般世帯を対象とした調査によると、
パソコン普及率は90年代後半を境に大幅に増加し、2008年現在では73.1%、単身世帯を含む調査に至っては
85.0%という数値を示している。一口にインターネットといってもその用途は様々だが、このうちの大部分
はおそらく情報収集と娯楽、営もしくは業行為としての使用が占めているだろう。一方で、遠く離れた個人
が仮想空間によって自在にリンクできるという文明の利器は、文化的にも多大な影響を及ぼした。

 鶴見俊輔『限界芸術論』の「大衆芸術論」の章には、ラジオ文化を論じた一節がある。ラジオ文化を「芸
術」として考えるという概念は、今まで私の中にないものだった。さらに言うならば、鶴見が言うところの
「純粋芸術」のみを、芸術として考えていたのかもしれない。大衆向けに発表されている音楽や映画といった
作品は、資本家によって大衆向けに加工された時点で商品としての金銭的価値を与えられ、代償としてそれ
自体の芸術的価値を失ってしまっているのではないかと考えていたのだ。「大衆」と「芸術」といったものは
両立し得ないものなのだと。しかし、その両者を共存させて「大衆芸術」とし、さらに民間に広く伝わる古く
からの娯楽や、会話までもを「限界芸術」と銘打って広く「芸術」であるとする本書には強い刺激を受けた。
なるほどそれならばラジオやテレビも立派な「大衆芸術」だと言うことができるだろう。本項には「来年早々、
民間放送が開始され、これまでみたいな官僚的ラジオ放送と異なった民主主義的ラジオ放送が行われるという」
(p118)とある。日本で初めてラジオの民間放送が行われた1951年の9月1日であるため、この文章が書かれた
のは1950年ということになる。なるほど、たしかにラジオはその後数十年間に渡って大衆芸術の要としての
役割を果たした。そして、そのラジオにとって変わって以来、大衆芸術の要として君臨しているのがテレビ
放送だということは言うまでも無い。しかし近年、実生活の会話においてテレビの話題が占める割合が減って
きていると私が感じているのは、果たして単なる勘違いだろうか。いや、実際にテレビ視聴率は若年層を中心
に確実に低下傾向にあるのだ。字数に限りがあるためここでは具体的なデータを取り上げることはしないが、
その一因は選択肢の多寡にある。そして若年層から視聴率を奪ったものの二大要因が、家庭用ゲーム機と
パソコンである。そしてそのパソコンの中では、限界芸術と非常に密接な、面白い現象が起きているのだ。

 ラジオやテレビは言うまでもなく「大衆芸術」に分類されるものだ。番組はプロのスタッフと演者によって
作られ、資本家によって成り立っている。これらは純粋な大衆の娯楽ではなく、マスコミの報道機関であり、
企業の広告塔という顔の方がより本質的といえる。しかしそうであるが故に大衆に娯楽を提供し続けることが
できた。娯楽の提供の対価として報酬を得るという完全なる職業意識の下で成り立っているとも言える。
その点、テレビのライバルであるゲーム業界も同じである。しかし、もう一つのライバルであるインターネット
はどうか?多くのコンテンツは、企業によって与えられた大衆芸術であるが、今若年層がテレビをそっちのけで
楽しんでいるのは、そういったものではない。彼らは、アマチュアリズムを楽しむことに夢中になっているのだ。
 
 具体的には、Alexa社による日本のアクセス数ランキングでは、ポータルサイトであるGoogleやYahooなどは
当然上位にあるが、5位のyoutubeや、14位のニコニコ動画などは少し事情が違う。共に企業による運営がなさ
れているが、そのコンテンツは大半がアマチュアによって作られたものである。16位の2ちゃんねるに至っては
法人ですらない。純然たる個人(一部共同ではあるが)経営なのである。さらに言えば、6位のlivedoorや13位の
amebloはレンタルブログを主なサービスとして提供しており、サーバーを貸す代わりに広告を入れ、そのブログ
を訪問した者に宣伝するという形で個人のブログを企業のコンテンツとして利用している。インターネット上の
情報源として名高い9位のwikipediaも、編纂しているのは何の資格も持たなければ報酬も得ないアマチュア達だ。

 インターネットという場がいかにアマチュアによって形成されているか、これらの結果から見ても歴然である。
非専門的芸術家によって作られ、非専門的享受者を持つ。インターネットに広がるこれらの文化は、限界芸術
そのものだ。テレビやラジオといった大衆芸術がインターネットに広がる限界芸術の波に押されているのなら、
今までに無い新たな文化的な革新が起ころうとしているのかもしれない。

(1983字)