台東区上野公園内に位置する東京国立博物館。その正面から右手に見える東洋館には、中国、朝鮮を
主とするアジア地域の様々な展示品が整然と並んでいた。人はまばらで、空調がよく効いていた。
ショーケースに並べられた展示品は薄暗い照明に照らされ、地中深くから掘り出されたであろうそれらは
古代独特の異質さを放ち、一種の異空間を作り上げる結界のようにも見えた。目的とした西アジアについての
展示品はあまり多くなかったが、それでもいくつか興味深い品々を見ることができた。その中でも一際私の目を
引いたのは、剣身1メートルを超えようかという巨大な銅剣であった。それはその他の銅斧などと違って、狩りで
はなく人間同士の戦闘に用いられていたであろうことが明白だった。先述の銅剣と並んで展示されていた少し
小ぶりなもう一振りの銅剣には、おそらく戦闘の際受けたのであろう傷がありありと残っていたのである。
授業内で扱ったのは主に農耕民族の文化であったが、私は思わず数千年前の遠い土地の、名もない戦争に思いを馳せた。
博物館に行き、ヘロトドスを読んで、私が身にしみるように感じた事実。それは、二千年以上前の遠く離れた
地について、私はわずかな手がかりに頼って曖昧な想像力を働かせることしかできないということだった。
スキタイという民族がどんな生活をしていたのか。当時の街の様子や、人々の価値観、宗教観はどのような
ものだったのか。それらのビジョンを構築するにおいて、最も有効な資料は文献や、発掘品などである。
しかしそれらと同じくらい、多数の識者が見解を示した論文は自身のビジョンをより明確にする手助けをしてくれる。
そこに歴史考古学の本質とも言えるものがあるのではないかと思った。
そして創作作品もまた論文と並ぶほどに参考文献としての価値がある。
スキタイを取り扱った創作作品の中でも群を抜いて分かりやすく面白いのが、岩明均の『ヒストリエ』という
古代オリエント漫画だ。マケドニアのアレクサンドロス王に仕えたとされる書記官エウメネスの怒涛の人生を
追ったものである。アッリアノスの『アレクサンドロス東征記』やプルタークの『英雄伝』を基とした物語だが、
これに創作としてエウメネスの出生にスキタイを絡め、騎馬遊牧民の血脈と知恵をメインテーマに据えている。
またタイトルの通り、作中では頻繁にヘロドトスが引用され、当時のヨーロッパから西アジアまでの様子が
克明に描写されている。ある意味では、ヘロドトスの『ヒストリエ』を現代版に訳したものと言えるかもしれない。
もともとヘロドトスの『歴史』は、西欧最古の歴史書とされながら、多くの主観と物語性を含んでいる。
スキタイについて多くを記した第四巻もさることながら、ギリシア植民地とペルシアとの争いの記述の中にも
多くのドラマが描かれている。これらは、その時代を生きたヘロドトスすらも、歴史を語るにあたって多くの
推測を交えていたことを意味する。つまり、人間一人が目にすることのできる事実は僅かで、人は推測と
想像を働かせることによってのみ歴史を語ることが出来るのである。そこに物語性が生まれることは必然なのだ。
そのことについては、ヘイドン・ホワイトの『物語と歴史』によって深い考察と議論がなされている。
時代小説、時代漫画などには常に懐疑的な意見が付き纏う。曰く、作り物の歴史にすぎないという批判が主だ。
資料研究や時代考証などが十分になされていないものは批判されて然るべきだが、作者の主観によって
歴史が作り変えられることに否定的な意見を寄せることは全く的を射ない行為だといえるだろう。
想像の産物である創作作品より史実こそが至高であるという考え方は間違いだ。歴史とは事実と事実を
想像力によって繋ぎ合わせることによって成り立っているからである。そしてその解釈は千差万別であり、
議論の余地は常にあるべきなのだ。『ヒストリエ』の作者である岩明均のスキタイ観は、豊富な資料の上に
形作られたであろうことがよくわかる。作中にはヘロトドスの『ヒストリエ』だけでなく、クセノフォンの『アナバシス』や
ホメロスの『オデュッセイア』などの書物も頻繁に登場する。しかし、自身でヘロドトスを読んだ印象と、必ずしも共通するわけではない。
彼の描くスキタイ観と、私自身のスキタイ観の相違によって、さらに私の想像力は刺激され、学習意欲を掻き立てる。
その時スキタイ人達は、確かに私の頭の中で息づいているのだ。
ヘロドトスの『ヒストリエ』も、岩明均の『ヒストリエ』と同じように、物語として読んだ方が面白いことは確かだ。
古代西アジアのスキタイ史に限らず、誰もが歴史を読んだ時、各々のビジョンを作り出している。そのビジョンを
より膨らませる為にも、私はこれらの物語を肯定したい。
史実は一つなれど歴史は数学にあらず、その解釈は幾通りあってもよいのだから。
そんなことを思いながら、西アジア文化独特の織物や彫刻品を見てまわる。古代のものに限らず、現代の着衣や
生活品なども展示されていたのが意外だった。当時の文化について一通り学習した後にこういったものを見ると、
より彼らが身近に感じられた気がした。
最後に銅剣をもう一度目に焼き付けて、私は博物館を後にした。紀元前3世紀から現代へと、初夏の太陽が私を引き戻す。
帰りの電車に揺られながら、馬上のスキタイ人がペルシアの大群を翻弄している夢を見た。その手には、あの巨大な銅剣が握られていた。
参考文献
『歴史』(上・中・下) ヘロドトス著/松平千秋訳 岩波書店 1971-72年
『ヒストリエ』(1~4巻) 岩明均 講談社 2004-07年
『興亡の世界史第02巻スキタイと匈奴 遊牧の文明』 林俊雄 講談社 2007年
『物語と歴史』 ヘイドン・ホワイト著/海老根宏・原田大介訳 平凡社 2001年
参考サイト
http://homepage3.nifty.com/coffeemonster/